W53CAに機種変更したよ話


 うおーはてなに書くの超久しぶり! 今日はついにauのWIN端末の名機として名高いW41CAから、最新の後継機種であるEXILIMケータイことW53CAに機種変更したので、W41CAと比較して何がどう変わったのか?をメモしていきたい。mixiの日記には気づいた点を随時書いていたけど、こちらでは数日間使ってみて気づいた点を総まとめで書いてみる。


外装編

  • 持ったとき、41CAよりも薄くて軽いことがはっきり解るはず。スペックは全然上なのに、技術力ってすごいなと思い知らされた。
  • ディスプレイは若干広くなっている。53CAを使ったあとに41CAを触ると若干の違和感を覚えるのだけど、これはディスプレイの広さなんだろなあ。
  • 閉じたときのディスプレイ側とキー側との隙間が狭くなっている。まあ使ううえでは問題ない。閉じたときの音が、41CAでは「パチン」だったのが53CAでは「パクン」という音。これはまあ好みの問題ですけどね。
  • ヘッドフォン端子が、電源ケーブル差し込み口のようなゴム製のものではなく、スライド式のカバーになっているのは嬉しい。せっかくだから電源用端子もそうしてくれればいいのに・・・。
  • 本体背面はそのまんまデジカメ。カッコイイ。
  • 電源用端子は通話キーあたりの左側面。右手持ちの人は充電しながらの操作が非常にやりやすくなっている。41CAは左下側で微妙に迷惑だったなー。
  • 端末を開いたときの角度がより180度に近くなっているので、自分撮りがさらに楽に。


操作編

  • キーはかなりフラットな感じ。41CAは波打っていたのでブラインドタッチがしやすかっただけに、これは慣れが必要かな?と身構えてはいたんだけど、これが意外に押し間違いは少なくて安心。まあよくEzボタンと終話ボタンを間違えたりはするけども。
  • 41CAでは方向キー上でカレンダーだったが、53CAではニュースフラッシュが選択される。この操作はニュースフラッシュが導入された、おそらく43CA以降からだと思うけど、個人的にはここはカレンダーのままにしてほしかったなあ・・・。なお、カレンダーはセンターキー→アプリキーで起動。
  • *キー長押しでシーン切り替え。ビジネスなどはもちろん隠れオタにも優しい機能。#キーはおなじみカメラ用ライトの点灯。

内部編

  • 基本操作はほぼ変わらず。あまりにも変わらなさすぎるので、機種変というよりリセットされた設定を元に戻す感覚。
  • その感覚に拍車をかける、プリセットのケータイアレンジアデリーペンギン」。41CAのもう一つの名物となったあのペンギンがほぼそのままの状態で設定可。細かい部分で41CAのような動画が見られなくなったり(web接続時などで一部アニメーションしない部分がある)、一部の動画の再生速度がすごく遅くなったり(メール送信時のアニメーション等)、完璧に同じというわけではないけど内容的にはほぼ満足かなと。
  • メールとwebに、アプリと同様「中断」ができるように。web中にメールが来たら、一度中断してメールを確認ということも可能になった・・・のはいいんだけど、終話キー2回押しで強制終了できるものの、この先行入力を受け付けてくれないことが多く、気が付いたら1時間ほどwebの画面残りっぱなしということがあったりするのはちょっと困る。終話キー→2、の流れでそういったミスは減るっぽい。
  • 各メニューとweb等でのフォントの大きさ等はほぼ変わらず。ただ、文字の大きさを小にしたときの行間が若干寸詰まりな印象を受ける。相変わらず小と極小の間がないのが個人的には不満ではあるかな。極端に大きさ変わりすぎなんだよなあ。
  • 文字入力のとき、41CAでは定型文と顔文字が別個のメニューで選択できたが、53CAでは「顔文字・定型文」を選択してからどちらかをさらに選択、で若干めんどくさげ。
  • web閲覧時の上下スクロールがさらに(若干だが)速くなった印象を受ける。あと超細かいことだけど、ページが完全に読み込まれていない状態から読み込み完了に切り替わったとき、41CAだと方向キー上下を押しっぱなしにしていると切り替わりの瞬間に入力が無効になる(スクロールのためにもう一度方向キーを押し直さなくてはならない)のだけど、53CAは継続してスクロールしてくれる。やたら長い文章を読み飛ばしている時(増田とかな!)にこの変更はちょっと嬉しい。
  • 逆に、お気に入りリスト表示中のショートカットキー入力は受け付けてもらえなくなってしまった。これは地味にイライラ。
  • 全体的に、データの送受信速度が上がったような気がする。赤外線送受信もサクサクいくぜー。これによってタッチメッセージの端末間データ転送の存在意義が薄れた感もあるけど、いちいち赤外線のポートを合わせなくていいという便利さも無いわけではない。
  • ところで、高機能化すると一番気になるのは「電池の保ち」なんだけど、例に漏れず53CAも結構電池の保ちはよろしくない。普通に使ってても2日いくかいかないかで電池が無くなってしまう感じ。まあこの数日は機能を使いこなそうと色々試していたこともあるので、実際にはもうちょっと耐えられるのかな?とは思うんだけど。


カメラ編

  • この端末の一番のセールスポイントであるカメラ機能、なるほど500万画素の威力は伊達じゃないぜ!といったところ。41CAもかなり性能がいいとは言われていたものの、どうしても画面の端っこになるに従って色のムラが現れたりしていたが、53CAでは「高い画素数で撮影して、あとで任意の大きさにトリミングする」という割り切りさえあればかなり便利なカメラだと言えるかも。参考までに大きい写真をうpしておく。
    • 5M・通常撮影・ベストショット風景・手ぶれ補正・マクロモード・9ポイントAF・ホワイトバランスオート・画質設定ファイン・写真無加工 http://pakuman.moe.to/photo/CA390012.JPG
    • 5M・通常撮影・ベストショット風景・手ぶれ補正・AF・ホワイトバランスオート・画質設定ファイン・写真無加工 http://pakuman.moe.to/photo/CA390031.JPG
  • しかし、逆に小さいサイズの写真を撮るときは「あれ?」と思う事も多々。色々試してるんだけど、多分「41CAよりもソリッドな感じで撮影する」っぽいなあ。同じ風景を撮影したとき、41CAは実際の色よりもちょっと薄ぼんやりしたマイルドな感じ、53CAはそれぞれの色がくっきり出る反面、くっきりすぎてギザギザドットな感じに撮れることが多い気がした。壁紙サイズで撮影してトリミング、という感じで。
  • SDカードへの書き込み速度の早さは相変わらず素晴らしい。まあ5Mともなると保存に1秒くらいかかっちゃうけど、まあこの程度は僕は許容範囲かなー。
  • もうひとつ気になるのは、シャッターを押してから写真を実際に撮影して、さらにそれが画面に表示されるまでの間は画面がブラックアウトしていること。しかもシャッター押してからのタイムラグが結構長い気がする(0.3秒くらいか?)このクセの強さは慣れるしかないのだろうか。
  • 画面を回転させた状態、いわゆるデジカメスタイルでは、シャッターの半押し・押し込みの2段階ボタンが便利。半押しでオートフォーカス、押し込みでシャッターを切る。9ポイントAFではフォーカスした箇所を緑の□で表示してくれるよ。
  • 動画の撮影も結構イイカンジ。そう多くは撮ってないけど、色がハッキリしてるお陰で画質が高いような気分になるね。


総合評価

  • 名機と言われたW41CAからの機種変となったけど、今のところ殆ど違和感はない。また、操作に慣れない部分はあるけど、これは我慢ならねえ!といった不満点は見あたらない。むしろ軽くて薄くて高性能になった、という面も含めて「これこそ正当な後継機種?」と思えるほど気に入った。51CAも52CAもなんだか野暮ったくて使いたいとは思えなかったが、53CAはモック触った瞬間に「これだ!」と思えたんだよなー。
  • ちなみに、41CAは当時の他の機種と比較しても「動作が若干もっさい」と言われていたけど、53CAは少し改善されてる感じはする。でも多分それでももっさいと言われるレベルではないかと思うので、他の会社の携帯電話を「動作が機敏」という理由で選んでいる人にはお勧めできないだろう。待ち受けをボニット(マグロ)にしている時なんて、端末開いてセンターキーの入力、という流れですら先行入力扱いされるからな!
  • まあそんなわけで、トータルで41CAの代替機種として充分にすばらしい機種になっているのでは?という評価。乗り換えに悩んでいる方には是非オススメですぜ。

守るから攻める音楽の売り方





「EMIは打つ手がなかった」――DRMフリー化と「CCCD」という無駄 そして日本は

http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0704/09/news013.html





 「音楽配信メモ」でおなじみ津田氏による、EMIのDRMフリーという話題から始まる音楽のコピーコントロールについてのコラム。CCCDなどコピー防止策の導入による混乱期と現在の様子、そして日本が今のDRMを外すか否かといった話題に触れているよー。





 まず、世界的なCDの売上げの下降は、コラム中でも指摘されているように「娯楽の代表格ではなくなってきている」が大きいのかなと思う。モノが大量に流通するようになり、いろいろな物事に手を出せる幸せな時代故の悩みとかなんとか。



 まあ日本の十代の場合、まず携帯電話にお金をつぎ込むのが普通になりつつあるのが大きいのかなとも思う。そもそも買うお金が無いからCDレンタルだ!んでもって親父のパソコンでコピーしちゃえばいいんだよ!という事なのじゃろか。

 加えて、着うたの普及とCCCDのようなDRMの施されたCDが出回るのがほぼ同時だったことは、DRM推進派には大打撃だったのかもしれないねえ。着うたでとりあえずワンフレーズ歌えれば話題には乗り遅れないんだから、便利な時代だよねー(そもそも、この程度の短さならテレビやラジオでチェックできるけどね)



 僕も、CDを借りるとまず帰りの道中でCDを流し聴きして、気に入ったらmp3かCDコピーなんだよな。よほど好きなアーティストでもない限り、今更3,000円もかけてアルバム買おうという気力はないわ。レンタルCDのコピーについては、レンタルCDの制度を作ってしまった業界の問題だと思うのであまり罪悪感も無し。

 困るのはやっぱり、CDの購入・レンタル共に「ケースにCCCDのシールが貼られてたとき」で、まずそのCDは購入する気が失せる。だってさーScoobieDoのアルバムもCCCDがかかってるやつがあって、カーステレオだと100%確実に音飛びする箇所があるんだぜー。もしかしたら初期不良かもしんないけど、とりあえず「CCCDのせいだ!」って責任を押しつけちゃうことにしたのであった。





 レコード会社が今後も生き残っていくとすれば、やはり過去の資産を使って商売していくって事になるのかなと。若い子向けに「曲を掘り返す」という作業が広まればいいのにねーとか思うわー。

 オヤジどもは、そのクソどうでもいい知識をフルに使って、若者にやさしく昔の曲を紹介していく。んで、若い子はこれを足がかりに曲の掘り返しをする、という感じで。んで、掘り返しの奨励のためにレコード会社が率先して大量の過去曲をガンガン公開してけば、あの頃聴いた懐かしい曲を求めた30〜50代くらいも食いついてくるかも(たしかこの構想は247ミュージック(だっけ?)が実践してるんだよね)



 これで掘り返された曲を、今活躍しているアーティストやインディーズで頑張ってる人などにアレンジさせてみるっていう動きを、今度は聴き手側が主導していけばさらに広がるのかな。この曲を誰にアレンジしてもらいたい?みたいな投票を行わせるとかやってみてもいいかも。これをきっかけに、誰にも知られていないであろう隠れた凄いインディーズバンドに担当させようという動きにまで発展していけばいいけどねえ。

誰にとって必要性があるのやら。





「ダラダラ長いからCD売れない」――丸山茂雄“47秒・着うた専用曲”の必要性を語る

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0704/06/news089.html





 247ミュージック代表の丸山氏が、音楽の現状の閉塞感と今後の着うたのことについて語った記事。かいつまんで書くと「最近の曲は長すぎる。これからはCDではなく着うたで曲を聴く時代が来るのだから、47秒で収まる曲で勝負していくべきだ」といった感じの内容になっておるよ。で、僕はこれにはやはり違和感を感じるなあ。





 まず、曲が長くなった理由を『それがカッコイイ・流行だからとみんな右へならえになっている』という説明におさめていること。このへんの感覚がまったくわからない僕にが問題があるのかなー。あれってみんながみんな「この分数じゃないとダメなんだ」って思ってるわけじゃないよね? 売れる曲は5分なんだぜ!っていう法則があるわけでもないよね?(プロじゃないので当然解らんのですよ) 僕がやってるよーな曲の場合、繋ぐ時間もあるから少し長めな方が使いやすい、っていう理由があるんだけど。何か具体例が出ているとより解りやすかったんだが。

 ただ、同意できる面もある。ここ十年くらいのポップスの基本構成は「イントロ/(Aメロ・Bメロ・サビ)×2/Bメロ・サビ」みたいな感じなんだけど、そこまで長くする必要はないだろうと思う曲もあるよねえ。短い曲でインパクトのある構成のほうが覚えやすいだろう、という考え方は正しいと思う。



 曲の長さ、ねえ。極端に言えば昔のプログレなんて数十分とか異様に長い曲も普通に存在した(これはクラシックとロックの融合、みたいなテーマもあったのかもしれないが) 僕はEL&Pの「恐怖の頭脳改革」に収録されている「悪の教典」は好きだけど、たしか3楽章17分とかあるんだよねー。

 でも、曲の長さをとって「カッコイイ」って言ってた時代なんてあったのか?というのが正直な感想。徐々に長くなっていったのであまり意識はしてなかったけど、気が付いたら20年くらいで3分ちょっとから5分くらいが標準になってるよーな気がする。要するに曲の長さなんてそんなもんじゃないかな。クラブミュージックみたいに、色んな用途があるので長くなっているってジャンルも無くはないだろうし(テクノで言えば重ねが面白くなるような箇所とかねー)



 他に気になるところとしては、「サビで突然『ラララララー』とメロディーが付き、みんな手を振ってそこだけ歌う。」という発言があるけど、これは単純にみんなで盛り上がりたいところだから一緒に歌うんじゃないのか? 昔の歌声喫茶みたく、最初からみんなで歌い続けるスタイルのカラオケなんて、少なくとも僕は今のところ出くわしたことがない。どっちが一般的なんだろ?



 これまたよくわかんないのが「サビだけキャッチーなのをやったら、よく分からないものになってしまう」という発言。そんなんばっか作る人は、要するに着うた向きじゃないってことなのでは・・・。

 サビ以外にもキャッチーな部分がある曲は結構あるよねえ。ロックで言えばディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」やTレックスの「20thセンチュリーボーイ」は、オープニングのギターを聴けば「あの曲だ!」というのが解るはず。そういうところを着うたにするのが普通だと思うんだけどなあ。なんでそういうとっかかりの部分の無い渋〜い曲を、無理矢理着うたにしようとするのだろう?





 47秒でワンコーラス収めるっていう手法は、作り手から見れば意外な新しさがあるし面白いんだけど、それを説明するのに「曲が長いのが流行ってのはもう古いんだ」という説明は弱いし、それがどのくらいユーザーに伝わるのか?っていうのがまったく見えないよねーと思う。

 だって、着うたはあくまで着信用で、着うたフルで曲を聴くのが普通なんじゃないのか? それともみんな着うただけで満足してるの?(もしそうだとしたら、すでに同じようなビジネスが立ち上がっててもおかしくなさそうだけど・・・) あまりにも同意しづらい内容なんで、「もしかして丸山氏は着うたと着うたフルを混同しちゃってるのかな?」と心配になっちゃうんですが。



 このインタビューでは、「着うたをどのように位置づけているのか」という点において、丸山氏の感覚が僕のそれと大きくズレていることがわかった。あとはこのサービスが成功するか否かで、僕の認識が世間と食い違っているのかどうかが判断できるのかな。

 現状では、いくらアーティストを拡充したとしても、初期の狙いどおり(47秒でワンコーラスという理由)で成功するとは到底思えませんです。だって、ユーザーから見たら結局普通の着うたサイトと同じ事やってるんだもんなあ。

まだまだ議論するよ!著作権保護期間の話





著作権保護期間、作家が選べるシステムを」――延長めぐる議論再び

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0703/13/news057.html





 ここ最近議論されている「著作者の死後の著作権保護期間を50年から70年に延長」問題についてのトークセッションの模様。単純に法律で明文化するのではなく、その選択肢を増やしていこうという方向で賛成派・反対派がまとまりつつあるよーという感じだったらしい。やっと落ち着くべき場所に落ち着くのか? というわけで、僕は反対派(単純に延ばすより選択肢を持たせたほうが良い、の方)の立場として読んでいく。





 まず、全著作者のデータベースを作って管理、というのは国が本気でコンテンツの保護を考えるなら当然やっていくべきかとは思うんだけど、そんな予算どっから持ってくるんじゃーということにはなりそうだ。やるならオタク文化が海外で猛威をふるってる(ように見える)今しかないのでは?という印象。





 あと、保護期間が延びてもそれがインセンティブ(意欲の向上)にならないというは当然同意なんだけれど、「同一性の保持のためにも必要」というのは・・・うーん微妙なところだなあ。

 いやまあ、小説等それ自体で一つの作品になっているものは、特によく知られているものはどう改変されても必ずそこに気づかれるであろうとは思うんだけど、問題は最近起こった「おふくろさん問題」*1のようなケースだよね。



 歌詞の場合、歌手が歌ってはじめて完成された作品となるけど、作詞家から見たら「俺が書いてない台詞を挿入しやがって!最後を担当する歌手が勝手な判断で改変するなんて問題だぞ!」という事なんだよな。でもこれ、歌手からすれば「作品のクオリティをあげるための演出なのに、創作意欲を阻害された」と言えなくもない。まあ裁判沙汰ってとこまではいってなさそうだけど、実際に法廷で争うことになったらどう判断されるんだろうか?



 これと似たような事が起こりそうなケースって何があるかな、ドラマや演劇の脚本とかはあるかもしれない。脚本家が監督に「勝手に筋を変えたお陰でこのあとの展開が作れなくなった」とか・・・これはちょっと弱すぎるか。ものすごい難癖つけるというのであれば、ラジオで曲が流れたときに曲がフェードアウトで尻切れトンボになって「あの曲のエンディングはそこじゃない!勝手に展開を捏造するな!」という・・・ごめん無理。





 あとネット上でのコンテンツの垂れ流し状態についての苦言があるんだが、これはちょっとカチンときつつも*2、そもそもレコード会社や出版社は石に色ぬったくって整形して玉として売ったりもするじゃんね、とか思った。

*1:森進一の名曲「おふくろさん」の歌の途中に、森氏自身の判断で台詞を挿入して歌ったために、作詞家の人が「そんなの書いてない!勝手に変えるな!」と怒って歌うのを禁止させた問題。

*2:「編集者がいない環境で作品が出て行くことは不幸だと思うし、読まされる人も不幸だと思う」という表現がなー、なんか上から目線でムカつくよなー(まあ実際上なんだが) コンテンツを作る行為自体が好きな人もいるし(これ僕)、商業ベースでは絶対できない草の根すぎるコンテンツを作る人もいるし、金の絡まない創作をしたい人もいるし、まあ色々だよね。そして不幸だと思うなら読まないほうがいいと思うわー。